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第1回 ハッピーを大きくしたプレミアムビール
狩野卓也


第2回 変わりゆく饗宴外交
西川恵


第3回 かかりつけの名医のみつけ方
松井宏夫


第4回 日本の赤ワインの礎「マスカット・ベーリーA」
坂田 敏


第5回 週末はいつもアウトドア
廣川健太郎


第6回 不可能の壁を超える実践優位のマーケティング
石井淳蔵


第7回 ブレンダーという仕事
輿水精一


第8回 過去の体験が濾過されて曲になる
村井秀清


第9回 グラスはつくり手と飲み手をつなぐ
庄司大輔

第10回 落語を世界へ 英語で伝える日本の話芸
立川志の春


第11回 和食は「ご飯がたべたい」料理の文化
阿古真理


第12回 若者のための酒場歩きガイド
橋本健二


第13回 画像で気持ちが伝わる ネット口コミが市場を動かす
徳力基彦


第14回 創業60周年 復活した十三トリスバー
徳江川栄治


第15回 カクテルバーのコミュニティ
徳江川栄治


酒論稿集
酒器論稿
過去の体験が濾過されて曲になる
ジャズピアニストで作曲家の村井秀清さん 村井秀清さんは、作曲家としてはNHKの『世界ふれあい街歩き』や『プロフェッショナル仕事の流儀』などのテーマ曲や挿入曲の作曲でも知られ、サントラ版「MergedImages」は3集まで発売されるロングセラーアルバムになっています。最近では、人気アニメーションの『テラフォーマーズ』や農業高校が舞台になった『銀の匙』の音楽も手がかられています。一方でShu-Kay-Manのメンバーとしてジャズミュージシャンとして、演奏や作曲コンサートにも大活躍されているマルチな音楽家です。作曲家、演奏家という枠には収まりきれない村井さんが音楽家としてどのように育ってきたのかからまずは話を伺いました。
―― 本日はお忙しいところをありがとうございます。音楽を仕事にしている中でも演奏家や歌手になるというのは、私たちにも想像がつきやすいのですが、作曲家になるというのは、どのようなプロセスを経てなるのか想像もできません。まずは村井さんが、作曲家になるまでのことを教えてください。
村井 3歳の頃からクラシックが好きな父親の影響でピアノやバイオリンを習 ってきました。昔はそういう子供も多かったと思います。そのまま小学校に入っても続けていたのですが、別に家にこもっておとなしくしていた青白い子供というわけではありませんでした。小学校のときは学校の水泳部にも入らされ、毎日千メートル泳いでいました。だんだん外での遊びの方が楽しい年齢となり、ピアノレッスンに行くときに爪の中が泥だらけで先生に叱られたこともたびたびでした。それでもピアノはピアノで楽しかったので家での練習もし、遊び、水泳と並行しながら小学校を終えました。中学高校に入ると部活が楽しくなり生活環境は一変してきました。特に高校時代は野球部に入りましたので、野球をするために学校に通うという感じで毎日遅くまで過ごしました。それこそ突き指してけがをしても野球の練習は休まないという感じでした。だから自宅に帰ってからピアノ練習というのも熱心ではなくなりました。年齢的にも思春期ということで、男子が楽器を習っているというのは少し恥ずかしくて、まわりの友達にもピアノをやっていることも隠していました。

■友達に絶賛されて音楽の心地よさを知る
―― ということは、中高の友達にはピアノが弾けることを隠していたのですか。
村井 それが一変するのは、高校のときの音楽の授業がきっかけでした。とても ユニークな先生で、試験は音楽について順番に発表するというものだったのです。クラシックでもロックでも歴史について図書館で調べて発表するのでも持ち時間の中であれば演奏するでもなんでもOKでした。自分の番のときに図書館で調べものをするのも面倒だし、ピアノを弾いた方が手っ取り早いと思いみんなの前で弾いたところ、大絶賛を得てとても気持ちがよかったし、練習してきてよかったなと思いました。この経験がひとつの転機になりました。

―― 高校生くらいになると楽器が弾けると恰好よくみえるようになってきます ものね。いきなり本格的なピアノを披露したらお友達もさぞ驚かれたことでしょう。それで音大に進学しようと考えたりはしなかったのですか。
村井 そこまでは全然考えていませんでした。音楽はあくまで趣味のひとつでし た。だから、将来の人生設計を思い描くわけでもなく早稲田大学法学部に進学して、大学に入ってから音楽サークルに入って楽しい大学生活を過ごしました。ただ、そのサークルは部員が100人以上いるような大きなグループで、演奏のレベルも高かくバンドブームでもありました。そこでジャズと出会い、アドリブを効かせるジャズの楽しさにのめり込んでいきました。

―― それでも卒業・就職して音楽は趣味にとどめるというのが普通の方だと思うのですが?
コンサートで演奏しているときの村井さん村井 私が学生の頃はちょうどバブル景気の真っ盛りの頃(1989年卒業)でしたので、3年生の春にはみんな簡単に就職の内定をもらえる状態でした。また法学部 にいましたので、司法試験を目指して就職しないで勉強するという人もまわりにいました。だから自分もしばらくは好きな音楽のことを外国で勉強してからでも何か仕事にはつけるだろうと軽く考えたのです。クラシック以外の分野を専門的に勉強する最高の環境にあるボストンのバークリー音楽院にアプライしたら運よく許可が出たのです。有名な学校なので、親も2〜3年くらいなら大丈夫じゃないかと送り出してくれました。留学する前は音楽で身を立てようとかいう覚悟もなくジャズが勉強できるのが楽しみという感じでした。

■アメリカで学んだジャズと作編曲の理論
―― バークリー音楽院ではどのような勉強をされたのですが。
村井 現在は、日本の大学でもジャズ科があって、同様の勉強ができますが、当 時の音大はクラシック中心でしたので、ジャズを学ぶ為に、多くの日本人留学生がいました。学校では、世界的なトップミュージシャンがコースをもってくれたりして、そこで演奏や作曲編曲について学ぶというものです。特に人気のある先生の授業をとるのは大変で、私はデュークエリントンのアレンジを体系化したハープポメロイさんやユキアリマサさんから、ジャズの演奏や作曲編曲のことを学びました。

―― ジャズの作曲編曲の勉強とは?
村井 ジャズというと、アドリブ、即興がすべてと思われがちですが、体系的・ 理論的に曲全体を考えて、音楽を作り上げていく方法論をより具体的に、実践的に学べたということでしょうか。アドリブの演奏部分も作曲編曲の要素に取り込んで、曲を作り上げていくという面白さ。こういう素養ができたのはバークリー音楽院で学んだことの一つです。



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