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第1回 ハッピーを大きくしたプレミアムビール
狩野卓也


第2回 変わりゆく饗宴外交
西川恵


第3回 かかりつけの名医のみつけ方
松井宏夫


第4回 日本の赤ワインの礎「マスカット・ベーリーA」
坂田 敏


第5回 週末はいつもアウトドア
廣川健太郎


第6回 不可能の壁を超える実践優位のマーケティング
石井淳蔵


第7回 ブレンダーという仕事
輿水精一


第8回 過去の体験が濾過されて曲になる
村井秀清


第9回 グラスはつくり手と飲み手をつなぐ
庄司大輔

第10回 落語を世界へ 英語で伝える日本の話芸
立川志の春


第11回 和食は「ご飯がたべたい」料理の文化
阿古真理


第12回 若者のための酒場歩きガイド
橋本健二


第13回 画像で気持ちが伝わる ネット口コミが市場を動かす
徳力基彦


第14回 創業60周年 復活した十三トリスバー
江川栄治


第15回 カクテルバーのコミュニティ
豊川紗佳


第16回 次に目指すは日本のバー文化の底上げ
坪倉健児


酒論稿集
酒器論稿
和食は「ご飯がたべたい」料理の文化
プロフィール
阿古真理(あこ まり)
1968年(昭和43年)兵庫県生まれ。作家・生活史研究家。食や暮らし、女性の生き方などをテーマに執筆。著書『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』『昭和育ちのおいしい記憶』『「和食」って何?』『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』
※写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

■我が家の食卓を振り返る
新潮社刊 2015年―― こんにちは。阿古さんは日本の食生活史に関する本を多く書いていらっしゃいますが、今年は『「和食」って何?』(筑摩書房)、『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮社)と立て続けにお出しになって、これまで以上に精力的に活動されています。今日は阿古さんが現在の日本の食をどうご覧になっているのかを、あらためてお聞きしたいと思っています。よろしくお願いします。
 近著の2つのうち特に『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』はあちこちで採りあげられました。反響も大きかったのではないでしょうか?

阿古 料理の本はたくさん出ていますが、これまで料理や料理研究家を客観的に、体系だてて整理したものはなかったので、料理好きな方や料理のレシピ開発に関わっている方から、よくやってくれたという声を多くいただきまして、食の専門家向けの勉強会やワークショップにもお招きいただくようになりました。

―― 食をテーマにするようになったきっかけは岩村暢子さんが2003年に出した『変わる家族 変わる食卓』(勁草書房)だとお聞きしました。
阿古 はい。ショッキングな内容で当時話題になった本です。総菜や弁当を買ってきて並べただけ、時にはスナック菓子がのっている食卓が当たり前になっていると、膨大な調査データで説明していたのですが、すごく違和感がありました。そうしたこともあるのだろうけれども、自分の周りにはなかったので反論したくなったのです。でも、自分は料理の専門家でもありませんし、豊富な調査データをもっているわけでももありません。そこで思いついたのが私の家族の食卓史をまとめることでした。母は広島の山間部の出身です。子供の頃どんな食事だったのか、食材の入手から調理、保存食づくりなどを細かく聞き取ることから始めました。また、母は結婚してからは主婦で、関西の郊外に住み、私と妹と夫婦という典型的な核家族世帯でした。この記録は戦前から高度経済成長期にかけての食卓のリアルな事例です。調べてみると1968年(昭和43年)に生まれた私が食べてきたものは、母が子供の頃に食べていたものとはずいぶんと違っていて、昭和という時代の食生活の変わりようがはっきり表れていました。

―― お母様への聞き取りはどれくらいおやりになったのですか?
阿古 5時間ずつ6日間やって、わからないところを電話で1時間くらい10回はやっていると思います。

―― お母様は子供の頃の食卓をよく覚えていらっしゃいましたね。
阿古 子供の頃のいい暮らしぶりを誇らしく思っているようで、わりとしっかり覚えていました。聞かれると調べてでも答えるような真面目なところがあります。農文協から出ている『日本の食生活全集』の広島の巻がいい手掛かりになって、うちはこうだったとか、こんなのもやっていたと記憶が引き出されていくこともありました。また、母だけでなく親戚にも取材しています。

筑摩書房刊2009年―― それが食関連の最初の著作の『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』(2009年筑摩書房刊)ですね。
阿古 この本はイチからやったのでつくるのはたいへんだったのですけれど、反響も大きくて私のところもこうだったというお声をほんとうにたくさんいただきました。



■女性の外飲みで肴が充実
―― そんなお母様の料理は洋食で、阿古さんは洋食で育ったと書いていらっしゃいますね。
阿古 専業主婦だった母は『主婦の友』を見ながら手の込んだ洋食をよくつくっていました。結婚してから三か月間一度も同じ料理を出さなかったというほど凝ったようです。それでうちの食卓は洋食がベースになって、ハンバーグ、オムレツ、ギョーザなどが好きでした。通っていた幼稚園のバザーに出すクッキーを焼くという口実で、高価なオーブンを買ってからはグラタンやローストチキンも並ぶようになりました。

―― そのころ、1970年前後にはどこの家庭もおっしゃるような日本式の洋食が定着していたと思います。レトルトや冷凍の簡便な商品も広まりましたし。ところで阿古さんから見て、酒の肴はどのように変わってきたとお考えですか?
阿古 1980年代にチェーン居酒屋が出てきて、酒場には食べるものが何でもあるように変わったのではないでしょうか。女性がソトで飲むようになったことが強く影響していると思います。私はあまり飲めないのですが、大学生の頃に入った居酒屋には唐揚げも肉じゃがも焼鳥も何でもありました。酒場が「肴は炙った烏賊でいい」みたいな世界だったことを知ったのはずいぶん後です。

―― 私も当時父親とチェーン居酒屋に入った時に、「この店には食べものがなんでもあるのか」と父親が驚いていたのを覚えています。それまでの酒場には、簡単なアテしかなかったのでしょうね。
阿古 女性がソトで飲むようになって肴はどんどん充実していきます。サラダのバリエーションが増えて、お店もカフェバーとかオシャレになって、欧米だけでなくアジアやアフリカなど世界各国の料理をアレンジしたカフェで食べるご飯「カフェ飯」が誕生します。

―― お酒もワインやカクテルが当たり前になりました。居酒屋に梅酒が増えたのもこの頃です。


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