西暦 |
元号 |
サッポロ
ボール |
アサヒ
ビール |
キリン
ビール |
業界・一般 |
1890 |
〃23 |
日本麦酒醸造、「恵比寿ビール」発売 札幌麦酒醸造、「札幌エアランゲアビール(黒ビール)」発売 |
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第1回衆議院議員選挙 |
1891 |
〃24 |
中川清兵衛、札幌麦酒醸造を辞職 日本麦酒醸造、経営不振で三井物産会社に再建依頼
札幌麦酒醸造、東京13カ所、横浜1カ所と大販売所契約(国分、吉田ほか) |
吹田村醸造所竣工 ドイツ人の醸造技術者M・メルゲル、B・ダニール来日 |
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1892 |
〃25 |
日本麦酒醸造、馬越恭平が委員長に就任 |
「アサヒビール」発売 |
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1893 |
〃26 |
日本麦酒醸造、日本麦酒株式会社に社名変更 札幌麦酒会社、札幌麦酒株式会社と社名変更 |
ババリア風「ニシキビール」発売 大阪で製瓶開始 |
ジャパン・ブルワリー、初めての国産びんを使用 |
横山助次郎「明治ビール」「日の出ビール」「千歳ビール」発売 |
1894 |
〃27 |
日本麦酒、「恵比寿黒ビール」発売 |
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1895 |
〃28 |
日本麦酒、ドイツから製麦設備を導入し製麦場を設置 札幌麦酒、函館・新潟・長野・仙台などに売捌代理店新設(全国71箇所になる) |
京都府下でビール大麦の契約栽培開始 |
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日清講和条約調印 |
1896 |
〃29 |
日本麦酒、ドイツ・アメリカ・国産各大麦の製麦試験開始 |
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「酒造税法」公布 |
1897 |
〃30 |
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本格的なビヤホール「アサヒ軒」の第1号店開業 |
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1898 |
〃31 |
札幌麦酒、東京出張店開設を決議。「札幌黒ビール」(樽詰)発売 日本麦酒、醸造技師ドイツ人ウィルヘルム・コブリッツ招聘し、酵母の純粋培養開始 |
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1899 |
〃32 |
日本麦酒、恵比寿ビヤホール開業 |
吹田村醸造所内で製瓶開始 |
「ボックビール」発売 ザ・ジャパン・ブルワリー設立。日本法人となる |
鳥井商店開設、ブドウ酒製造販売開始 |
1900 |
〃33 |
札幌麦酒、苗穂村に製瓶所 |
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パリ万国博覧会開催 |
1901 |
〃34 |
札幌麦酒、東京工場(のちの吾妻橋工場)建設着工 |
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「麦酒税法」(以下、「ビール税法」)公布。造石税1石7円 |
1902 |
〃35 |
札幌麦酒、大阪に本社出張所開設 |
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日英同盟条約調印 |
1903 |
〃36 |
札幌麦酒、ビヤガーデン開業(東京工場構内) |
東京向島須崎町に出張所「朝日軒」開設 日本橋堀江町に東京出張所「アサヒ屋」出店 |
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1904 |
〃37 |
札幌麦酒、「1升びん詰ビール」発売 |
東京八丁堀2丁目に出張所開設 |
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日露戦争開始 |
1905 |
〃38 |
札幌麦酒、第2製麦所操業開始 |
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1906 |
〃39 |
日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒が合併し、大日本麦酒株式会社が発足 |
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「ピルスナービール」発売 |
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1907 |
〃40 |
札幌工場、王冠試用開始 東京麦酒新(株)買収し、保土ヶ谷工場と改称
大阪支店、大阪支店出張所開設 |
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ザ・ジャパン・ブルワリーと新会社発起人(近藤廉平、瓜生震、米井源治郎)との間で売却協定調印され、麒麟麦酒(株)発起人会が成立
明治屋との一手販売契約締結を決定 |
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1908 |
〃41 |
麦酒試験所開設(王冠使用などを研究) 第1回札幌ビール会開催(札幌) |
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日本第一麦酒、加富登麦酒(株)と社名変更 |
1909 |
〃42 |
清涼飲料水「シトロン」発売(王冠使用) 九州出張所開設 |
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