西暦 |
元号 |
サッポロ
ボール |
アサヒ
ビール |
キリン
ビール |
業界・一般 |
1930 |
〃5 |
「エビオス」発売 不況により人員整理(約4500人。この年だけで約1000人) |
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神崎工場製麦工場完成 |
日本麦酒鉱泉、「ユニオンビール」乱売(王冠1コ3銭で買上など特売)
寿屋、「オラガビール」発売 金輸出解禁 |
1931 |
〃6 |
名古屋工場内に直営ビヤホール「浩養園」開業。尾張町のカフェーライオンを直営とし「ライオン・エビスビヤホール」開業 |
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日本麦酒鉱泉・寿屋、乱売合戦激化 満州事変勃発 |
1932 |
〃7 |
人員整理約230人 |
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「キリンスタウト」発売開始 |
東京麦酒協調会設立(乱売防止努力) |
1933 |
〃8 |
「ビタミンビール」発売 麒麟麦酒と販売協定締結 日本麦酒鉱泉を合併し合計14工場に
地元資本と折半で朝鮮麦酒叶ン立 |
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「2?入りビール特大びん」発売 小樽支店を移転し、札幌支店開設 朝鮮に昭和麒麟麦酒(株)設立 |
アメリカ、「全国禁酒法」廃止により酒類解禁 日本、国際連盟を脱退 |
1934 |
〃9 |
麒麟麦酒と共同出資により満州麦酒(株)設立 寿屋の鶴見工場買収、東京麦酒(株)設立
朝鮮麦酒、出荷開始 |
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大連出張所開設 横浜に製瓶工場完成 |
麦酒醸造業、重要産業に指定される |
1935 |
〃10 |
「サッポロビール」、ドイツへ初輸出 ドイツ・ミュンヘン醸造研究所長ハインリッヒ・リューエルス博士招聘
「アサヒスタウト」発売 |
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1936 |
〃11 |
醸造技師ドイツ人クラウス・フォン・ワカノ招聘 満州麦酒第1工場竣工(奉天) |
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満州麦酒第2工場完成 |
二・二六事件起こる |
1937 |
〃12 |
広島出張所開設、東京出張所を支店に昇格 アサヒビヤホール開業(大阪・梅田新道)
「アサヒスタッビー」発売 |
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広島出張所開設 |
廬溝箸で日中両軍衝突(日中戦争の発端) |
1938 |
〃13 |
ドイツ人のホップ栽培技師ハインリッヒ・ヒルシャー、製麦技師ヨゼフ・ウルストバウアー招聘 |
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広島工場完成 |
「国家総動員法」施行 |
1939 |
〃14 |
目黒工場改築完了 日本酒造(株)買収 |
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奉天支店開設 国産ホップによる自給策を樹立 |
第二次世界大戦勃発 |
1940 |
〃15 |
日本酒造を清水市から目黒工場内に移転、合成酒「祖国」製造開始 |
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|
日独伊三国同盟締結 |
1941 |
〃16 |
奉天に満州支店新設。王冠コルク(あべまき)自給を目指し庄原林業所開設 |
|
|
太平洋戦争開戦 |
1942 |
〃17 |
軍当局からサンミゲルビール会社(フィリピン)及びアーキペラゴビール会社昭南工場(シンガポール)の管理受託 |
|
|
「企業整備令」公布 |
1943 |
〃18 |
企業整備により桜麦酒を合併 大阪支店を除く全支店閉鎖(販売を中央麦酒販売に委託) |
|
麒麟科学研究所開設 |
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1945 |
〃20 |
名古屋・吾妻橋・目黒・川口工場罹災。各工場に生産転移要項通達 |
|
転用に備えて技術者を軍需省発酵研究所に派遣、アルコールの製造技術を習得 |
太平洋戦争終結 |
1946 |
〃21 |
目黒工場、仕込み再開。西宮工場「三ツ矢サイダー」製造再開 |
|
横浜工場コカ・コーラの委託びん詰作業開始 各工場副業計画決定、横浜工場=醤油製造、アミノ酸製造、製塩、貸倉庫、神崎工場=製粉、製氷、貸倉庫、広島工場=製氷、貸倉庫
ビタミンB1剤(粉末)発売 |
|
1947 |
〃22 |
古王冠1貫(3.75s)とビール1本引き替え(3.15まで東京35区域で実施)
分離準備委員会、「報告書」提出 |
|
横浜工場醤油仕込み開始 横浜工場戦災復旧工事決定 健胃剤「キリンクミゲン」発売 |
「過度経済力集中排除法」公布施行 「日本国憲法」施行 「酒類配給公団法」公布 |
1948 |
〃23 |
過度経済力集中排除法に基づく指定会社に再編成計画書提出。日本麦酒、朝日麦酒の新設社名を明示 |
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KBソースを京浜地区に初出荷 横浜工場、強力消化滋養剤「キリナーゼ」製造開始 |
「酒類配給公団」発足 |
1949 |
〃24 |
大日本麦酒(株)分割、日本麦酒(株)発足。資本金1億円、社長柴田清。5支店(札幌、仙台、東京、名古屋、九州)、5工場(札幌、川口、目黒、名古屋、門司)。横浜、函館に出張所開設
新商標「ニッポンビール」発売 |
大日本麦酒(株)分割、朝日麦酒(株)設立(資本金1億円)、社長山本爲三郎・本店(東京)支店(東京、大阪、広島、四国、九州)工場(吾妻橋、吹田、西宮、博多)
商標「アサヒビール」復活(単色刷り) |
戦後初めて職員を新規採用 酒類配給公団解散に伴い支店(横浜、名古屋、神戸、仙台、広島)、出張所(京都、高松、福岡)を復活
商標(キリンビール)を復活、 南九州(3県)と北海道を除く全国に出荷開始 ホップ戦後初輸入 |
酒類自由販売復活 統一商標「麦酒」から各社銘柄別商標へ(単色刷り)
ビール輸出再開許可 ビヤホール復活 |
1939 |
〃14 |
目黒工場改築完了 日本酒造(株)買収 |
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奉天支店開設 国産ホップによる自給策を樹立 |
第二次世界大戦勃発 |
1940 |
〃15 |
日本酒造を清水市から目黒工場内に移転、合成酒「祖国」製造開始 |
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日独伊三国同盟締結 |
1941 |
〃16 |
奉天に満州支店新設。王冠コルク(あべまき)自給を目指し庄原林業所開設 |
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太平洋戦争開戦 |
1942 |
〃17 |
軍当局からサンミゲルビール会社(フィリピン)及びアーキペラゴビール会社昭南工場(シンガポール)の管理受託 |
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「企業整備令」公布 |
1943 |
〃18 |
企業整備により桜麦酒を合併 大阪支店を除く全支店閉鎖(販売を中央麦酒販売に委託) |
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麒麟科学研究所開設 |
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1945 |
〃20 |
名古屋・吾妻橋・目黒・川口工場罹災。各工場に生産転移要項通達 |
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転用に備えて技術者を軍需省発酵研究所に派遣、アルコールの製造技術を習得 |
太平洋戦争終結 |
1946 |
〃21 |
目黒工場、仕込み再開。西宮工場「三ツ矢サイダー」製造再開 |
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横浜工場コカ・コーラの委託びん詰作業開始
各工場副業計画決定、横浜工場=醤油製造、アミノ酸製造、製塩、貸倉庫、神崎工場=製粉、製氷、貸倉庫、広島工場=製氷、貸倉庫
ビタミンB1剤(粉末)発売 |
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1947 |
〃22 |
古王冠1貫(3.75s)とビール1本引き替え(3.15まで東京35区域で実施)
分離準備委員会、「報告書」提出 |
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横浜工場醤油仕込み開始 横浜工場戦災復旧工事決定
健胃剤「キリンクミゲン」発売 |
「過度経済力集中排除法」公布施行 「日本国憲法」施行
「酒類配給公団法」公布 |
1948 |
〃23 |
過度経済力集中排除法に基づく指定会社に再編成計画書提出。日本麦酒、朝日麦酒の新設社名を明示 |
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KBソースを京浜地区に初出荷
横浜工場、強力消化滋養剤「キリナーゼ」製造開始 |
「酒類配給公団」発足 |
1949 |
〃24 |
大日本麦酒(株)分割、日本麦酒(株)発足。資本金1億円、社長柴田清。5支店(札幌、仙台、東京、名古屋、九州)、5工場(札幌、川口、目黒、名古屋、門司)。横浜、函館に出張所開設
新商標「ニッポンビール」発売 |
大日本麦酒(株)分割、朝日麦酒(株)設立(資本金1億円)、社長山本爲三郎・本店(東京)支店(東京、大阪、広島、四国、九州)工場(吾妻橋、吹田、西宮、博多)
商標「アサヒビール」復活(単色刷り) |
戦後初めて職員を新規採用 酒類配給公団解散に伴い支店(横浜、名古屋、神戸、仙台、広島)、出張所(京都、高松、福岡)を復活
商標(キリンビール)を復活、 南九州(3県)と北海道を除く全国に出荷開始 ホップ戦後初輸入 |
酒類自由販売復活 統一商標「麦酒」から各社銘柄別商標へ(単色刷り)
ビール輸出再開許可 ビヤホール復活 |