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日本の蒸留酒の未来(上)
 日本を代表する伝統的な蒸留酒は、いうまでもなく乙類焼酎である。一方、日本のウイスキーは、スコッチの製法を学ぶことからスタートし、しっかりと日本の風土に根づいた。そんな二つの蒸留酒の世界で活躍されているお二人に、日本の蒸留酒の未来を語っていただいた。

-本格焼酎は、ここ二〇年ぐらいでずいぶん品質も変わり、飲まれ方も変わって、いまでは完全に日本中でポピュラーなものとして認められるようになってきたわけですが、まずその間どういうことが起きていたのか、というあたりについてお話いただけますか。
鮫島 三〇年ほど前まで、焼酎は九州の地酒の域を出なかった。そしてまた、球磨であれば球磨焼酎、沖縄、壱岐とかそれぞれの固定された地域で、独特の飲み方がされていたわけです。それが全国的に普及したのには、飲み方としての「六四」のお湯割りというのが非常に大きかったと思います。「焼酎は意外に強い酒ではない」ということを知らしめたという意味でもね。
 ただ、泡盛とか球磨焼酎は生で飲むのが主流で、強かった。鹿児島のは、昔から弱い。ちゃんと六四で割れば一五度で、清酒と同じ度数になっています。お湯割りというのは、清酒の燗と同じ温度、同じような度数で、料理とともに飲むにもちょうどいい。その飲み方が広まることで、焼酎がまず認知されていきました。

乙類焼酎の発展を支えた技術的自由度
鮫島 その頃は、芋焼酎は鹿児島、麦焼酎は壱岐、米焼酎は球磨という個性的な顔を、それぞれの酒は持っていたわけですが、昭和五〇年代の焼酎ブームで、大分の麦焼酎を中心に非常に飲みやすいものがたくさん出てきた。それが、焼酎の裾野をより大きく広げた。そうして焼酎の顔そのものを変えていったのだろうという気がしますね。
 そういうなかで、地域起こしと絡んでいろんな原料を使った焼酎も出てきた。
−トマトとか、いろいろありましたね。
鮫島 そんなお酒は焼酎ではないよという批判がありそうなものですが、焼酎の世界というのはおもしろくて、前向きといったら言い過ぎかもしれませんが、そういうものの足を引っ張らない傾向があります。マスコミもそれを好意的に受け止めて、焼酎ブームの起爆剤になったような気がします。
 その背景にあるのは、ある意味で九州には酒づくりに風土的なハンディみたいなものがあり、昔からいろんな原料を使って焼酎を造ってきた歴史を持っていたということがあったと思います。米がないから芋を使う。芋がないから何かを使う。いろんな物で焼酎を造ってきた。
 しかしその間、全部が全部伸びたかというとそうはいかないわけです。伸びたのは飲みやすいタイプのものだけで、逆に伝統的な昔ながらの顔を持っていた焼酎は、どちらかというと苦戦していた時代がずっと続いた。
−昭和六〇年頃のブームの時もそうですか。
鮫島 そうですね、どちらかというと。そのなかから、たとえば球磨焼酎は常圧から減圧に変わるという動きで活性化した。鹿児島は麦焼酎の樽貯蔵の分野で主導権を握りつつある。そういうことを地域地域でダイナミックに、お互いに刺激を与えながらやっていく。その相乗効果というのは非常に大きかったのだろうと思います。それを可能にしたのが、焼酎づくりの自由度の高さでしょうね。
 技術的な話をしますと、焼酎はクエン酸を作り出す麹を使う並行複発酵方式です。この方式だと、アルコール度数の高いものを造ることができます。たとえばサツマイモは、穀類の三分の一のデンプンしかありませんが、それでも一四%くらいのものができる。だから蒸留を繰り返さずにすみ、濃醇なタイプのものを造ることができる。
 あるいはクエン酸を作る麹は南九州の暖かいところで、高温かつ長期に発酵させるということを可能にしました。短期ですといろんなガス成分とかいっぱい含まれているけれど、それが飛んでしまう。あるいは麹、酵母とかが、いろんな複雑な成分を造り出し、焼酎の個性に非常に貢献しているということがある。
 もうひとつが、二次仕込み法です。まず麹だけの一次モロミを作って、それに主原料を掛けるというやり方ですね。一次モロミだけしっかり作れば、あとの原料を変えることによって、自由自在にいろんな原料を酒にできるという製造方法なわけです。いわゆる冠焼酎のトマトなども造れるようになる。ベースにそういう造りの技術があります。
 しかし、そういうことをずっとやってきて、さらにこんどは飲みやすい方向に流れていこうとした時に、やはり本来の焼酎とは何なのか。焼酎らしさとは何なのかということが、問題になってきました。

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