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諏訪杜氏の特質と「出稼ぎ」労働力輩出の背景
はじめに
 従来、酒造出稼ぎの研究は、主に経済学、社会学、地理学などの分野で行われてきた。そこでは母村が出稼ぎ者を押し出す「プッシュ要因」と、都市などが農山漁村の労働力を引き出す「プル要因」の二面から着目する研究が主流だった。特に、「村」の生活と「蔵」の生活は、前者が伝統的な村落の論理、後者は資本の論理と規定され、出稼ぎ者は夏も冬も連続性を持った一人の人間であるにも関わらず、あたかも別の論理で隔絶された存在として論じられることが多かった。
 本稿は、この二つの社会構造の関連性に着目することで、夏の農林漁業と冬の酒造業を併せて生業として生きる酒造出稼ぎ者の生活の一側面を明らかにすることを目的とする。事例として多くの諏訪杜氏を輩出している長野県諏訪郡富士見町瀬沢新田区を取り上げ、1993年から行っている実地調査のデータをもとに、具体的に論じてゆきたい。

母村の概況
 瀬沢新田区は長野県諏訪盆地の南東部、八ヶ岳南麓の標高1000m前後に位置する。1600年代前半、かつて諏訪大社の御狩野だった原野を高島藩が開拓して誕生した新田村である。当区は農地こそ広いものの、気候は冷涼、地質も火山灰質で米の作柄は不安定であった。そのため、様々な商品作物を導入して生計の安定を図ってきた。昭和の初頭までは養蚕、その後は高原野菜、洋菊、カーネーションなど、高収入の作物を諏訪地方でも早期に導入し、町内の農業を牽引してきた。
 これに並行して、冬の農閑期を利用した「農間稼ぎ」も盛んに行ってきた。近世には、山仕事や水車、中馬稼ぎのほか、高島藩の奨励により「江戸半期稼ぎ」と呼ばれた出稼ぎも盛んだった。明治以降も、酒造、鋸行商、下駄の歯入れ、トコロテン製造などの出稼ぎ労働や、馬車による木材輸送、昭和30年代からは土木作業などが農業を補完していた。このうち、瀬沢新田区では、とりわけ「サカヤモン」と呼ばれる酒造出稼ぎが盛んに行われてきた(註1)。
 こうして、現在は稲作+菊栽培+酒造出稼ぎ、稲作+カーネーション栽培+高速道路の除雪作業という組み合わせを主に、稲作に精密機械・リゾート産業などとの通勤兼業も併せるなど、就業形態の多様化が進んでいる。

酒造出稼ぎの社会的性格
 伝統的な出稼ぎ労働が消長する中、酒造出稼ぎが諏訪のみならず比較的多くの地域で継続している背景には、二つの特質があげられる。それはQ技能獲得による昇進制、Wパーソナルな結合による集団出稼ぎ形態、である。
 役職者としての杜氏は酒造の最高責任者であり、同時に人事権、給与の分配権を握っていた。給与の分配権は、諏訪地方では戦後になって酒造会社側に移譲されたが、人事権は、通年雇用の社員採用が始まった現在でも杜氏が要所を握る場合が多い。
 諏訪の杜氏集団の序列は図表1に示した(註2)。役職は、蔵の規模によって、多少異なった。現在は大きな蔵では、酒造を行う人が約20人、通常は5〜10人程度である。杜氏を頂点にしたサカヤモンの序列は非常に厳しかった。大規模な蔵の杜氏には、ハタラキからすれば「口もきけない」程の威厳があったという。それだけに、出稼ぎ者の家族にとって酒屋は信頼できる職場であった。顔見知りの杜氏(多くの場合村人)が、常に指導してくれるため安心である。杜氏の側も村人の子息を「預かっている」という気持ちだった。現杜氏のひとりは、ハタラキだった頃、杜氏から「親から預かっているから、ちゃんとやらなきゃ困る」とよく叱られたという。
 酒造出稼ぎは収入面でも安定していた。昭和10年頃は、ハタラキの一冬の手取り収入が約50円だった。当時、水田一町と桑畑七反で養蚕を経営している農家の収入が約250円だったので安定した収入である。しかも、酒造出稼ぎの賃金は春にまとめて支払われるので出稼ぎ先での無駄遣いも少なかった。収入は、杜氏になるとさらに充実していた。給与の分配権を握っていた当時の杜氏の給与は、「一冬行けば田一反」とか、「杜氏でもやるようになれば、お蔵が建たる」と言われた。また、酒造出稼ぎ者を出していない家でも、「酒屋に行っている家は、お金持ち」だと認識している。こうした高収入もあって、若者の多くが杜氏を目指した。酒造出稼ぎの場合、基本的に技術を基準にした昇進制度をとっている。厳しい鍛錬に耐えて努力さえすれば杜氏の地位につく道が開かれていたのである。
 もう一つの特徴が、近隣関係などのパーソナルな結合を基礎とした集団形成である。瀬沢新田でも5〜10人程度の小さな集団は、ほとんどが区内のメンバーで構成されていた。大きな集団でも、重要なポストは杜氏と同区の出身者で固めるケースが多かった。
 このため、酒造会社での情報、例えば杜氏に誰かが昇進したとか、鑑評会で金賞をとったなどの話がすぐに母村に伝わる。実際、酒造出稼ぎを出していない家の主婦でさえも、「近所の人から聞いた」などとして、そうした情報を早く、しかも詳しく知っている。

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