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「天の美禄」を止めますか?
天の美禄
 中国人が宴席でよく口にする古人の言に「酒逢知己千杯少(ジウフォンヂーチェンペイシャオ)*1」があります。久しぶりに会った中国の友人と食事をする時にもしばしば耳にします。昔風の訓読をすれば、「酒は知己(ちき)に逢(あ)えば千杯も少なし」となり、自分のことを理解してくれる友人と酒を酌み交わせば千杯でも足りないとの意です。
 確かに酒は人の気持ちを和ませ心を解き放ち、普段は物静かで朴訥(ぼくとつ)な人をも気分を昂揚させて雄弁にします。ですから、親しい朋友(とも)と酌み交わせば会話も弾み、いつになく酒が進みます。まさに、「酒は天の美禄(びろく)」です。
 「酒は天の美禄」とは、前漢王朝(前206〜後8年)の歴史を記録した『漢書(かんじ)』(食貨志(しょっかし)下)に見える語です。そこにはまた、「夫(そ)れ塩は食肴の将、酒は百薬の長、嘉会(かかい)の好」ともあります。料理に塩が欠かせないように、宴会に酒は不可欠だというのです。というのも、「天の美禄」である酒は、「衰を扶(たす)けて疾を養う所以(ゆえん)」、老化を予防し疾病を治癒する効能があるからだというのです。そんな訳で、中国では古来どのような宴会も酒なくしては行われないのだといいます。
 では、この「天の美禄」はいつ誰が造ったのでしょうか。中国で初めて酒を造ったのは、儀狄(ぎてき)とも杜康(とこう)ともいわれます。儀狄が発明し杜康が改良したともいわれますが、いずれにせよ夏(か)王朝から周(しゅう)王朝の人ということですから、今から数千年前ということになります。「儀狄」と「杜康」がともに酒の異名となっているのは、かれらが酒の創始者だからです。
 儀狄については次のようなエピソードがあります。儀狄が自分の造った酒を禹王に献上したところ、一口味わった禹(う)王は、「後世この美味にして陶然とさせる飲み物によって国を滅ぼす者が出るであろう」と語り、儀狄を避けるようになったといいます(『戦国策(せんごくさく)』魏策)。
 酒と食と色と台(うてな)(豪邸)、これらは国を滅ぼす四大悦楽といわれますが、さすが儒教の聖王は、一口飲んだだけで酒の魔力を洞察しました。果たせるかな、禹王の末裔である桀(けつ)王は、連夜の酒池肉林の末に夏王朝を滅亡させたのです。禹王は夏王朝が酒によって滅びることを予測していた訳ではないでしょうが、桀王は酒で国を滅ぼした最初ということになるでしょう。

*1 この俗諺は本来「酒逢知己千杯少/話不投機半句多」と対句になっており、後半の「気が合わない人間とは話は半句でも多い」を考えれば、酒がメインではなく「逢知己」と「不投機」、すなわち人間関係をいうものかもしれない。しかし、今では前半だけが酒の席で用いられることが多い。また、中国語の「酒」と「久」の発音が全く同じであることから、「酒」を「久」に作ることもある。

儒教の酒
漢詩の知恵 ところが、飲酒を戒めるかのような禹王のこの言葉にも、実は甘美なる酒に酔いしれる快楽を人間的なこととして認めるふしがあります。もちろん、ほどほどであれば、節度さえ保つならという条件がありますが。
 そもそも儒教は禁欲の思想ではありません*2から、人間の欲望を全否定することはしません。祖先崇拝をモットーとする儒教が色欲を肯定するのは当然のことですし、また、儒教では祭祀の時にご馳走を惜しみません。酒もまた例外ではありません。『論語』には、「肉は多しと雖(いえど)も、食気に勝(か)たしめず。唯(た)だ酒は量無きも、乱に及ばず」(郷党篇)と、孔子(こうし)の食事風景がみえます。孔子は肉はたっぷり食べるが決して食べ過ぎない、酒は一定量を決めないが乱酔しない程度であったというのです。
 左党の解釈では、「どれだけ飲もうと乱れなければよろしい」と孔子からお墨付きをもらったようなものですから、これほど強い味方はないでしょう。孔子だけではありません。荘子(そうし)も「酒を飲むは楽しみを以て主と為す」(『荘子(そうじ)』漁父(ぎょほ)篇)、酒を飲む目的は楽しむことだと言っているではありませんか。
 こんな訳ですから、中国の詩人は堂々と飲酒の歓びを謳います。早くも漢代の「西門行(せいもんこう)」という楽府(がふ)(民間歌謡)には、「美酒を醸(かも)し/肥牛(ひぎゅう)を炙(あぶ)り/請(こ)う 心に懽(よろこ)ぶ所を呼び/用(もっ)て憂愁を解(と)く可(べ)し/人生は百に満たず/常に千歳(せんざい)の憂いを懐(いだ)く」と、心を許すことのできる友と酒を飲んで人生の憂(う)さを忘れよとあります。このため、中国では「忘憂(ぼうゆう)の物」も、先の「儀狄」や「杜康」、あるいは「百薬の長」や「天の美禄」などと同様、酒の異名として定着しています。

*2 串田久治著『儒教の知恵』(中公新書)参照。

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