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北関東地方における
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江戸時代における
 知多半島の醸造業の
 展開とその背景

酒論稿集
酒の文化論
江戸時代における知多半島の醸造業の展開とその背景
知多半島は江戸時代後期から明治初期にかけての最盛期には、約二〇〇の酒蔵を数えた日本有数の酒造地域であった。ここではその知多半島の醸造業の特質とその背景について、若干の考察を試みる。

1 知多半島の醸造業
知多半島の酒造業については篠田壽夫氏の一連の研究がある(1)。また、酢の醸造については、これまで『新修半田市誌』などに利用されていた中埜又左衛門家文書の整理が進行中であり、酢醸造業についてもさらに研究が進められ、その実態が明らかにされようとしている(2)。これらの先行研究から、江戸時代後期の知多半島及び衣浦湾岸地域の醸造業の特色を概観する。
この地域の醸造業の第一の特色は多種類の醸造品が造られていたことである。酒はもちろん、一八世紀後半から一九世紀前半にかけて、酢の半田・中埜又左衛門、味醂の大浜(碧南市)・石川八郎右衛門などが醸造を開始する。元禄期に初めて大野(常滑市)で商品化された味噌造りの技術は、その後小鈴谷(常滑市)の盛田家へ伝えられ、文政期には頼山陽にも好まれるほど、全国的に知られる商品に展開した(3)。幕末から明治初期になると、半田・大足(武豊町)などを中心として味噌・溜の醸造業が発展する。
第二の特色は、これらの多様な醸造品の市場が、江戸や全国に広がっていたことである。酒は一八世紀前半に江戸積が始まったといわれるが、一八世紀末には江戸へ入る酒の一割程度が尾張産の酒であった。江戸では、尾張・三河・伊勢などで造られた酒は、江戸と上方の中間に位置する地域で造られた酒という意味で「中国酒」と呼ばれた。文久二年(一八六二)に、尾張藩の減造令に反対して酒造家から提出された願書(平野家文書、『新修半田市誌』上巻所収)には、上方の酒の品質が一定せず、海難事故により運搬に支障が生じて、江戸市場の需要に応じられていないのに対して、知多の酒は評価が高く競争力もあることが述べられている。もちろん、幕末期には上方の酒と同じ銘柄で販売する「類印」という販売方法も採られていたが、灘や伊丹などの上方の酒に迫る評価を得ていた。
中埜又左衛門は文化期に酢造りを始めるが、その販売先は大きくは「地売」と「江戸売」に二分されていた。また、天保期には醤油酢問屋・森田半兵衛、明治初年以降は中井半三郎を販売窓口として、江戸市場において確固たる地位を確保するようになる。
第三の特色としては、尾張藩領内の酒造株高・酒造米高において知多郡の占める割合が非常に大きいことがあげられる。天保四年(一八三三)時の「酒造米高帳」(徳川林政史研究所所蔵)をまとめたのが図表2 である。図表2 からは次のようなことが指摘できる。

1) 軒数では、一三〇軒(二七・八%)の愛知郡(名古屋を含む)、一二八軒(二七・四%)の知多郡の占める割合が大きい。
2) 愛知郡では名古屋、厚見郡では岐阜の都市部に軒数が多い。
3) 大規模酒造家は知多郡、愛知郡内では名古屋・鳴海(名古屋市緑区)、厚見郡内では岐阜に多く、その他の地域では中小規模の酒造家が中心である。
4) 知多郡内では大規模酒造家は半田・亀崎(半田市)に集中する傾向が認められる。特に半田は大規模な酒造家が大部分である。酒造米石数では、亀崎が二一・五%、半田が一二・四%と、軒数だけではなく酒造米の石数の上でもこの二カ村の占める割合が大きい。


ほぼ同時期に作られた「尾州製酒銘」(蓬左文庫所蔵)には、鳴海の千代倉(下郷家)一統と知多郡の酒造家二一軒・岐阜の酒造家一軒が記されている。鳴海は地理的には愛知郡に属するが、下郷家が知多郡の東浦酒造大行事をつとめるなど、酒造家としては知多郡と結びつきの強い場所であった。以上から、尾張藩領内の酒造家は、都市需要を満たす城下(名古屋・岐阜)の酒造家、地元で消費される酒を造る在村(知多郡の中小酒造家を含む各郡部)の酒造家、江戸積を中心とする知多郡・鳴海の大規模酒造家の三種類の存在形態があったと考えられる。

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