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宮水の沿革
 宮水は「西宮の水」を指す。西宮の浜で揚がった鰯の煮干は「宮じゃこ」と呼ばれたのと同意義である。
 宮水は魚崎郷の山邑太左衛門によって天保11年(1840)に発見されたといわれている。が、それよりも前の天保八年(1837)同じく魚崎郷の雀部市郎右衛門説も伝承されている。山邑氏説には山邑氏の過去帳に書き残された文書がある故、それは通説として流布されている。何れにしても、西宮の者ではなく魚崎の人である。
 それは、山邑太左衛門が所有していた西宮の「梅の木蔵」と魚崎の蔵の酒質が異なることに悩み、働く人を変えたり、米を変えたりしたがどうしても納得できず、最後に水を同じ西宮の水にしたところ同じ酒質のものを得ることが出来、西宮の水の優秀性を知ったという有名な話である。
 また発見とするのが一般的ではある。が、世上一般の発見というようなものではなく、地元では何も知らずに使用していたものが、西宮の水が酒造用水としての優秀性を他所の山邑氏によって教えられ、初めてこれを知ったという事である。
 その前後して、同じ魚崎郷の岸田忠左衛門が生P造りの際での「ギリ暖気」の技法を開発している。その頃の魚崎郷には酒造に対する真摯な空気があったのであろう。上灘三郷(魚崎郷・御影郷・西郷)の中心として、酒造の先進地として、魚崎郷は君臨していたのであろう。
 余談だが、その頃には白鹿の辰馬吉左衛門も魚崎に酒蔵を持っていた。先進地から何かを得ようとしての行動であったのであろう。この事は、次の明治期における白鹿・辰馬が飛躍することを予兆する。
 その山邑氏の梅の木蔵井戸跡に「宮水発祥之地」の碑が昭和40年に「宮水保存調査会」10周年を記念して建立された。
 その碑の裏面に田岡香逸の撰文による九十九文字からなる文が刻まれている。
 「広く灘地方産の清酒が灘の生一本と呼ばれて名声を天下に博しているのは/原料水として世界に比類のない西宮の水つまり宮水を使用しているからで/その真価は天保11年にこの地の井水によって確認され今日に及んでいる」と。
 この九十九文字は「白」を意識したものである。「諸白」「精白」の「白」である。この宮水の沿革を述べる前に、その成因についてふれる事としよう。

宮水の成因について
 宮水の成分は、リン・カリを始めとしたミネラル分が豊富で、鉄分が極めて微量であるという特徴を持っている。
 リン酸成分は酵母の増殖に欠かせない必須成分である。カリ成分も酵母増殖に必要であり、その多少は酵母の増殖に大きい影響を及ぼす。また、鉄分は酒質に対して重大な悪影響を及ぼす。
 そのような成分を持つ宮水はどのような地理的な要因を持つのであろうか。
 西宮の太古の地形は下図で示すように、現在とは大きく違っていた。
 今の宮水地帯北方には入江が入り組んでおり、現在のJR西ノ宮駅あたりがその入江の入口と推定されている。JR西ノ宮駅あたりの地名を西宮市津門何々町(「津門」とは港をさす)と呼ぶ。『日本書紀』にでてくる「務古の水門」はここではないかと推定されている。
 後白河法皇(1127〜92)の『梁塵秘抄・巻二』の「神社歌・広田一首」に「広田より/戸田へ渡る船もがな/浜のみたけへ言付もせむ」がある。広田という西宮の北部にある神社から、当時西宮の荘の名前であった西宮南部の戸田荘に船で渡っている。
 その入江が夙川・御手洗川などの氾濫等での流砂・礫で埋められてしまい、津門は港の用をなさなくなってしまった。それで、今の津(「今」とは新しいの意)である今津(灘五郷の一つ)という町ができあがった。
 有馬温泉の泉質(金泉・銀泉)に見るように、それは鉄分含有の温泉と炭酸ガス含有の温泉で有名である。鉄分と炭酸ガスとを六甲山系の水は多分において含んでいる。
 昔、海だったところを流れる伏流水は海の成分であるミネラル分を炭酸ガスの作用によって溶かし込んでいく。その伏流水を「法安寺伏流水」と呼ぶ。
 その法安寺伏流水と西宮戎神社の下を流れてくる「戎伏流水」が混ざり合う。戎伏流水はたくさんの酸素を含んでいる。その酸素の作用で法安寺伏流水の鉄分は酸化鉄となって、沈殿し除去される。その下流の伏流水はミネラル分の豊富な、鉄分を極めて微量しか含まない水として湧出する。これが宮水なのである。まさに天与の霊水と称してもいい過ぎではない。

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