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20世紀の酒文化

中世人と酒

貧乏徳利にみる江戸市中の酒

菅江真澄の記録にみる「酒」

近代日本における禁酒運動と柳田飲酒論

宮水の沿革(1)

宮水の沿革(2)

江戸の地下式麹室

地下三尺に眠る江戸の酒瓶

明治・大正・昭和の清酒酒造業の技術導入 略年表

明治中期以降における酒造技術の平準化と 産地間競争の激化

北関東地方における清酒製造業の形成過程

合成清酒の物語

お雇い外国人の
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堺の酒小史

北関東地方における
 清酒製造業の形成過程


江戸時代における
 知多半島の醸造業の
 展開とその背景

酒論稿集
酒の文化論
近代日本における禁酒運動と柳田飲酒論
1 柳田國男の憂慮
 近代日本で禁酒運動が隆盛したことを知る人は少ない。むしろ禁酒運動と言えば、アメリカでアル・カポネを典型とする暗黒街のボスを生み出したことの方が有名なのではないか。また、文学好きならばヘミングウェイやフォークナーなどの著名な小説家たちが禁酒運動に反対して、大量飲酒をしつつ次々と名作を書いたことを知っているだろう。既存研究でも、アメリカの禁酒運動については常松(1990)、岡本(1994、1996)や森岡・藤谷・田中他(1999)、スールニア(1996)などのまとまった成果があるが、日本のそれに関しては石附(1981)や田中(1989)、高田(1998)など少数にとどまっている。
 一方、飲酒文化の既存研究は数多い。紙面の都合上あまり紹介できないが、飲み方については伊藤(1975)、高田(1984)、小林(1989)、井上(1993)、濁酒密造については谷川(1986)、川村(2000)、両者に関して岩本(1992)などがある。そして、これらは共に柳田國男の「酒の飲みやうの変遷」と『明治大正史世相篇』第7章「酒」を酒宴論ないし密造酒問題とみて研究の土台にしている。
 例えば、伊藤(1975、162頁)は「柳田國男の酒宴論は、日本の酒宴研究のなかでも興味深いもののひとつ」であると評価し、また井上(1993、126頁)は「『世相篇』や「酒の飲みやうの変遷」(1939)を下敷きにしながら、昭和の世相の流れの一端を、わたしなりに明らかにしてみたい」として自らの酒宴論を展開している。また、既存研究では酒宴論の一環としてしばしば女性の酒造りとお酌が重要視されている。
 ところが、『明治大正史世相篇』第7章の各節をみると、「酒を要する社交」、「酒屋の酒」、「濁密地獄」、「酒無し日」、「酒と女性」と続いており、酒宴論や密造酒問題とみることに違和感が残る。なぜなら、「濁密地獄」が「酒を要する社交」と「酒と女性」の間に挟まれている理由がよく理解できず、さらに「酒無し日」の内容が等閑視されるからである。
 この「酒無し日」とは、禁酒会が毎年10月1日を禁酒の日と定めたものである。そして、『明治大正史世相篇』第7章は一連の飲酒問題に向けた処方箋である。柳田は大量飲酒問題の発生要因を社交と酒税法改正に求め、それらの結果として濁酒密造と禁酒運動があるとみている。彼は濁酒密造を容認しつつ、禁酒運動を批判し、後者に代わる飲酒問題の解決策として女性による酒の管理を提案した。
 以上のように、日本でも禁酒運動は柳田によって早くから問題視されたが、岩本を除く後世の研究者が彼の主張を酒宴論と解釈したために、あまり研究されなかった。しかし、禁酒運動は日本でも宗教対立や政治活動にまで発展し、未成年者飲酒法の制定を成功させた大事件であった。そこで、本稿では柳田の著作を再考しつつ、禁酒運動の実態とそれが酒造業界に及ぼした影響を明らかにする。

2 大量飲酒問題の発生
 江戸時代まで、酒造りは酒株によって新規参入と製造量の面から規制されていた。しかも、農村部で主に飲まれていた濁酒は日持ちしないので、冠婚葬祭の時など季節限定的に、数日間で飲み干せる程度の少量しか造られなかった。よって、全国的な広がりで言えば江戸時代の人々は好きなだけ酒を飲むことができなかった。
 ところが、1871(明治4)年に新規免許料十両と免許税五両、販売額の五分に相当する酒税を支払えば、誰でも自由に清酒が造れることになった。営業自由化の影響は単なる供給量の増加にとどまらない。清酒は扱い方次第で1年以上の長期保存に耐えうるため、供給量増加によって消費者が1年中酒を飲むことを可能にした。図表1をみても、1870年代後半に1人当たりの飲酒量が急増している。
 もちろん、飲酒量は政治・経済的条件のみで増加しない。柳田によると、近代の飲酒は労働者間の親睦や知識の共有に役立っていたが、一方で機会限定ながら「客を酔い倒れにしえなかった宴会は、決して成功とは言われなかった」という伝統的な集飲と分別されずに、日常的な大量飲酒を正当化した(柳田、1993、230〜231頁)。さらに、飲み方が盃の回し飲みから猪口による独酌へ変化したため、個人で好きなだけ飲めるようになった(柳田、1993、230頁)。この状況下において、次章でみる禁酒思想は、大量飲酒の正当性をうち破るために利用された。


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