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戦前期朝鮮半島における邦人酒造業の地域的展開と特質

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日本の酒の国際化
戦前期朝鮮半島における邦人酒造業の地域的展開と特質

はじめに
 わが国の酒造業は、大正期から昭和初期にかけて、多くの産地形成に成功した。灘や伏見の二大産地だけでなく、地方に多くの新興産地を作り出したのである。同時に、麦酒や新式焼酎など新しい酒類生産業の生成と成長をみる。一方、地主の兼業としての酒造業も広く地域に展開した。また、朝鮮半島や台湾では、日本人による近代的な酒造業が創世され、内地の酒造業と比肩するものもみられた。このようななか、酒造業の企業行動は多様化していた。昭和初期の酒造業について、藤原隆男(一九八八)は内地酒造業の近代化と酒造体制の強化(1)、八久保厚志(二〇〇三)は外地での生産と市場進出(2)を酒造史研究上の課題としている。
 昭和恐慌以降、需要減退と農村地域の経済的疲弊が酒造業の再編を必然とするなか、外地の酒造業の成長は急であった。このような状況の下で、酒造業とりわけ内地と外地の企業行動の分析は重要であると考えられる。内地の酒造業にとって、外地の存在と外地での酒造業がどのような関連にあり、どのような役割を相互に持っていたのか、そしてこの時期の企業行動の帰結が、戦後の酒造体制を規定した戦時期の「企業整備」に向かわせたと考えられるからである(3)。
 さて、「外地」=旧植民地の近代的な酒造業は、当地の経済構造やその発展に連動し、かつ日本の酒造政策と内地酒造業の発達と密接に関連してきた。そして近代化の主要な部分が進出してきた日本人によって始められたとされている(以下、このような酒造業を邦人酒造業と呼ぶことにする)。本稿は、当時邦人酒造業の展開中心地域であった朝鮮半島を事例に(4)、邦人酒造業の生産分布とその変化、生産形態、市場構造とその特徴、経営者の出身地および出自を整理することで、邦人酒造業と国内酒造業(以下、内地酒造業と呼ぶことにする)との連関を明らかにする。

朝鮮半島における邦人酒造業の展開

(1)酒類生産の動向
 併合前、朝鮮半島では歴史的に多様な酒類が生産されてきた。ただその生産形態は、官制の酒造司によるものや自給的なものであり、商品としての流通はごく限られていた。近代に至り、李朝によって開国されると開港場を中心に日本人、中国人による酒造業が始まった。そして、一九〇五(明治三八:光武九)年の「乙巳保護条約」の締結後、日本の酒造政策が直接的に朝鮮に導入された。特に重要な点は「家醸酒:自家用酒」の禁止と「酒幕:酒店(自家醸造酒を飲ませる飲食店)」の統制であった。自家用酒の禁止は酒造業者へ酒類市場を開放することであり、商品流通を活発化させた。一九一六(大正五)年の酒税法の改訂では、酒の醸造・蒸留法が「近代的」な「日本式」に制限され、酒造りが免許制となった。酒幕は、同年約一二万店あったものが一九三〇(昭和五)年には約五〇〇〇店に激減した。このように朝鮮での日本人による酒造政策は、酒造資本(とりわけ邦人酒造業)を優遇することによって従前の自給的酒類生産と消費構造を崩壊させ、その導入は近代的酒類生産の起点となった。そして新たに創成されつつあった地主、商人等の民族資本も酒造業に参入していった(5)。
 併合後の朝鮮半島における酒類生産の推移をみると(図表1)、清酒は主に邦人資本によって生産され、一九一六年三・四万石であったものが一九三三年には六・七万石に増加している。一方、マッコルリを中心とした濁酒は主に民族資本によって生産され、同様に四八・六万石から一五五・四万石に三倍増となっている。これはマッコルリについても自家用酒から販売酒が普及しつつあったためと考えられる。焼酎は本格焼酎・酒情が主に邦人資本で、朝鮮焼酎が主に民族資本で生産され、全体では九・〇万石から三八・〇万石に激増している。これは濁酒と同じ要因が考えられる他、日本資本による酒精(新式焼酎)生産の開始が重要な要因である。

(2)邦人酒造業の地域的展開
 朝鮮半島における邦人による清酒生産は、併合前の明治二〇年代後半より釜山、仁川等の開港地で始まったとされている。また、少し遅れて本格焼酎(醪取焼酎)も平安道等北部地域でその生産が始まった。
 併合後、清酒生産は邦人の増加と朝鮮の人々による飲用が進むことによって拡大する。 この過程で清酒工場の立地が変化する。すなわち、併合前の清酒工場の立地は図表2のように釜山、馬山、郡山、ソウル、仁川、平壌、元山(地名は当時、以下同じ)などに限られていたが、併合後は図表3のように広く全国でその立地が見られるようになった。とくに水田地域であり、邦人による農場経営が展開していた全羅道、慶州道、京畿道等半島南部地域での集積が見られるようになった(図表4)。一方、本格焼酎生産は平安道を中心に北部地域で進展していた。昭和期になると麦酒工場も邦人資本によって創業された。
 昭和になると酒税が朝鮮半島における租税収入の三割を占めるようになり(図表5)、酒造業は朝鮮半島の産業化の一翼を担う産業部門に成長した。特に図表6にみられるように本格焼酎、清酒、酒精、麦酒など朝鮮酒以外の酒類の比率が高くなっている。このことは邦人酒造業の成長を示している。そして、その自律的な発展段階には多様な類型がみられる。


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