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アメリカの日本食ブームとサケ
海のないアリゾナ州にもすし店が
 1987年10月14日付のニューヨークタイムズ紙は「約10年前、アメリカ人は実に大量のすしを食べ始めた」と報じている。
 ということは、1977年頃からアメリカのすしブームが始まったことになる。
 75年にニューヨークで最初のすし専門店を開いた私の体験からすると、70年代初め頃からすしブームは徐々に始まっていたと思うので、まあこのあいだをとって、70年代半ば頃からアメリカにおけるすしを含んだ日本食ブームが始まったといって間違いないであろう。
 この日本食(すし)ブームはひとえにアメリカ人のヘルス・コンシャス(健康志向)に起因するものであるが、一過性で終わらず年がたつにつれてますます過熱していった。
 これを具体的に示す数字がある。アメリカにおける日本レストランの店舗数だ。この増加する割合を見れば、いかに日本食の人気が高まっていったかがたちどころにわかる。
 ニューヨークを例にとろう。
 最初の日本レストランは1910年に開店した「都(みやこ)」である。この1軒から始まって50年代の半ばにようやく10軒近くになった。主にニューヨークに住んでいる日本人だけが相手だったから、まあこの軒数も妥当なところである。
 それが私が初めてニューヨークに来た60年代末には50軒から60軒程になった。
 いよいよアメリカ人客が日本レストランにやって来るようになったのである。
 そしてそれから20年後の1990年には、これはニューヨーク市だけではなくニュージャージー州やアップステートなどを含めたグレーター・ニューヨーク(ニューヨーク首都圏)の数字だが、何と10倍の500店になっている。さらに10年たった2000年には800店になった。
 では全米ではどうかというと、1990年には日本レストランは約3500店あった。州別では1位がカリフォルニア州で1467店、2位ニューヨーク州426店、3位ハワイ州144店、4位フロリダ州131店となっている。
 これが10年後の2000年になると、2倍近い約6000店に増えているのだ。州別では1位カリフォルニア州2131店、2位ニューヨーク州523店、3位ワシントン州(首都のDCではなくて西海岸の州)436店、4位フロリダ州369店で、1、2、4位は順位は変わらないが店数は増加しているし、また3位に新たにワシントン州が食い込んできた。ハワイ州より伸びが大きかったということである。
 驚くのは7位アリゾナ州の153店である。日本人は余り住んでいないし、それに海から遠い内陸部である。魚は東と西の両海岸から飛行機で運んでこなければならないのだ。これだけを見ても、日本食ブームがいかに全米に浸透しているかがわかろうというものである。

すし人は日本人とは限らない
 以上の全米の日本レストラン数を調査したのは、ロサンゼルスが本社で『月刊食事業』という日本語のタブロイド紙を発行している会社である。
 各州の職業別電話帳をチェックしたり、あるいは各地の日本レストランにアンケート用紙等を配るなど、大変な苦労をして調べ上げたようだ。しかしながら、ことすしに関する限りこの統計には含まれていない店がまだまだ多数存在する。
 これらは独立した単独店ではないので、カウントされていないのだ。ただし売上から見れば決して単独店に負けていない。
 例えばスーパーマーケットのすし売場。
 すしブームが盛んになってくると、スーパーは店内にすし売場を新設してグルメ化を強調し、店のイメージアップを図ろうと考えた。そこで初めは外部の会社が工場で作ったすしを買ってすしコーナーに並べていた。だがやがて、すし職人がその場ですしを作るデモンストレーションをやると、客の反応が全く違って、売上が伸びることに気がついた。つまり客は「出来たてのうまいすし」という印象を強く受けるわけである。

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