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ラインの石器と
  ひげ徳利


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酒論稿集
酒器論稿
古代ギリシアの酒器
ディオニュソス劇場にて
 いまから四〇年も前の一九六一年、わたくしはアテネ大学に留学。ギリシア美術を専攻するわたくしは以来すでに十数回ギ リシアの地を訪ねているが、アテネを訪ねた時はたとえ二?三日の滞在でも必ずアクロポリスに登っている。いまは廃墟とな っているパルテノンの前に立つと、前五世紀にそれが造営された西洋古典文明への想いに胸を熱くする。アテネのアクロポリ スは何度訪ねても飽きることのない計り難い魅力がある。今年も多くの日本人がこのアクロポリスを訪ねたことであろう。そ してそのほとんどの方は、アクロポリスの南崖下に広がるディオニュソス劇場址に足を踏み入れたに違いない。

  承知のように、ディオニュソス(ラテン名バッコス)はギリシア神話の酒神とされているもともと酒神は小アジアのリュ デアやフィギュリア(現在のトルコ北部地方)辺りで古くより信仰されていた、自然の生産力を象徴する豊穣神であった。ギ リシアでは、ディオニュソス神はつねに巫女を伴い酒に酔って忘我の境に入り、狂乱によって理性の開放を求め、これが儀式 として発展し酒神ディオニュソスの祭礼となった。春の到来を祝う有名なアテネの大ディオニュソス祭は三月二八日から五日 間、全市民をあげての祭。最後のパンアテナイアの行列に先立って、ディオニュソスへの奉納の演劇がこの劇場で上演される。 その起源は紀元前五五三年頃、詩人テスピスに始められたと伝えられている。古代ギリシア劇は全員が仮面をつけ、役者はコ ロス(合唱隊、英語のコーラス)を含めすべてが男性で、日本の能と似ている。古代ギリシアの劇場はいずれも山のスロープを 扇状に切り、そこに階段状のセアトロン(観客席)を設け、最下段が丸いオルケストラ(舞台)となっている。英語のシアター はこのセアトロンに由来する。音楽家の小椋佳が銀行を退職してギリシアを旅行し、そこで作った多くの曲に「セオリア」、 その日本語訳を「観賞」としたのはさすがである。

ギリシア先史文明としてのクレタ・ミュケーネー

 詩聖ホメロスが「葡萄の濃き海にクレタという島あり」と唱った、エーゲ海に浮かぶ最大の島クレタ島は早くから高度な文 明を開花させた。海洋民族であるクレタ人はエジプト文明との接触を通して独自な文明を発展させた。彼らは明るい自然のも とで戦争のない豊かな生活を享有していた。ここではかなり早くからワインの栽培が行われ、ヴァディペトロにはクレタ文明 後期の王家の醸造所の遺構が残されている。そこでは酒宴用の陶製の尖底の盃、長い注口の酒宴用の水差しなどが数多く出土 している。これらのほか、動物を象った陶製のリュトン、黒色練石に精巧な浮き彫りのある盃なども製作されていた。
 クレタ文明に続くミュケーネー時代は別稱を英雄時代とも呼ばれ、英雄たちが活躍する尚武の精神が中心となった時代であ る。この時代の酒器は概ね把手のついた青銅の盃で、その器形は先のクレタ文明を踏襲したものである。なかでもこの時代の 酒器を代表するスパルタのヴァフィオ出土の一対の黄金杯や、ミュケーネー出土の脚の長い、いわゆるシャンパン杯と呼ばれ ている優美な器はそのいずれもがクレタの工人の作と推察されている。
 ミュケーネー時代は詩聖ホメロスがワイン造りの神としてデ ィオニュソスについて唱っているように、この時代にワインは民衆の間で最も一般的な飲み物となっていた。一八七四年、 H・シュリーマンがミュケーネーのアクロポリスを発掘し、そこから、金銀のリュトンや大きな双把手のカンタロス、打ち出しの脚付きの黄金杯など多くの酒器を発見した。その器形は次に来るギリシア時代の器の原形と言われるものも少なくない。

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