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粕取焼酎を現代に生かす
 五〇代以下の日本人にとって粕取焼酎は、名前は知っていても飲んだことがないという酒ではないだろうか。かつては、農村や清酒どころで幅広く造られていたのに、強い香りや個性の故に一時は消えかけていた。しかし、粕取焼酎を現代に蘇らせようという蔵元の熱意によって、伝統的な製法に則りながら現代の価値をまとった新しい粕取焼酎が生まれようとしている。

map 福岡県の南西部、筑後川の下流域にある三(みずま)瀦町に本格的な粕取焼酎を造っている杜の蔵がある。いや正確にはあったと言ったほうがよいだろう。平成の大合併のため、本年四月一日を期して三瀦町・城島町は久留米市と合併したからだ。
 三瀦町・城島町には酒蔵が密集していて、戦前には東の灘、西の城島と並び称された。そして、同時にこの一帯は粕取焼酎の生産地としても広く知られていた。今でこそ、九州の焼酎と言えば、いも、麦、米といった原料から造るもろみ取り焼酎がほとんどである。けれどもかつては福岡・大分など清酒文化圏では、焼酎と言えば粕取焼酎のことを指していた。

粕取焼酎は肥料の副産物
 粕取焼酎といっても、ほとんどの人は飲んだことがないのではなかろうか。粕取焼酎は、終戦直後のモノ不足の時に似ても似つかぬ粗悪な焼酎がカストリと称して販売されて、イメージを大きく傷つけられた。さらに酒粕由来の独特な香りが、食生活や嗜好の変化などであまり受け入れられず、徐々に市場から姿を消していったのである。しかし北部九州を中心に根強いファンがいる。
 焼酎の発祥の地というと、沖縄、鹿児島など南九州、麦焼酎の壱岐などがあげられるが、粕取焼酎発生の起源はこれらと経緯を異にしている。そもそも焼酎を造ることよりも酒粕からアルコール分を除去して、良質な肥料を作るために始まったと考えられている。江戸時代中期に太宰府天満宮の領田であった福岡県内の糸島・粕屋・八女や同じく天満宮系の防府天神(山口)、北野天神(京都)の領田を中心に粕取焼酎造りが広がり、飛躍的に収穫高が増えた。そこで農村部では田植え期に肥料を作るために、酒粕の蒸留がおこなわれるようになったというのだ。
 そして、田植えの後の早苗饗(さなぼり)祭の時に飲まれたことから、早苗饗焼酎の別名がつくようになった。
 製法はもろみ取り焼酎とはまったく異なる。酒粕に水を加えて再度発酵させた半固形状もろみに大量の籾穀をまぜて空気の通りをよくし、蒸籠で蒸して蒸気とともに焼酎を取り出すというものである。

粕取と清酒の蔵
photo この土地で長年に渡り、粕取焼酎造りをおこなってきた杜の蔵が、かつての伝統的な粕取焼酎造りをおこなうという連絡を受けて、見学方々訪問した。
 杜の蔵の創業は明治三一年。この年は自家醸造が禁止された年である。同社の特徴は、創業時こそ粕取焼酎専業であったものの、すぐに清酒と粕取焼酎の両方を造るようになったことにある。昭和三〇年頃のデータで三瀦郡には、清酒で三〇蔵、焼酎で一〇蔵程度あったというが、そのほとんどは、清酒専業、粕取焼酎ともろみ取り焼酎の兼業、粕取焼酎専業で、清酒蔵が粕取焼酎を造るという一貫体制にあったのは、杜の蔵だけであった。
 現在でこそ、清酒メーカーで焼酎も造っているところはたくさんあるが、その頃では、清酒のほうがはるかにステイタスが高く、清酒メーカーから見ると焼酎は格下の酒と思われていた。だから清酒の販売量が右肩上がりの時代に、わざわざ焼酎造りに乗り出すところはほとんどなかった。
 また、粕取焼酎蔵は、清酒蔵から酒粕を購入して焼酎生産をおこなうという体制であったため、原料調達が不安定であった。酒粕自体が清酒の副産物であり、製造数量や入荷日程などを主導的に決めることは難しかったのだ。さらに、酒粕は、漬け物業者など他にも利用者が多く、相場商品的に価格が乱高下する。そのため粕取焼酎専業者として安定的に事業を拡大していくのは困難だったようだ。
 このような事情で、粕取焼酎製造元が一社ずつ消えていく中、同社では創業以来粕取焼酎造りが脈々と続けられていったのである。

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