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初孫 山形
平成6年に竣工した新鋭ブルワリー
山形の酒は最近でこそ首都圏への出荷が多くなっているが、他の主産地に比べると県外への出遅れ感があるのは否めない。しかし山形のトップメーカー東北銘醸は、平成に入ってから新鋭の工場を立ち上げますます意気盛んである。伝統的な生もと造りにこだわる同社の成り立ちや現況についてご紹介したい。

遠い道のり
写真東京から上越新幹線に乗り終点の新潟まで、そこから羽越線の特急いなほに乗り換える。混み合った新幹線とは対照的に空いている車内では、心なしか時間の流れもゆったりと感じる。少々疲れの出てきた身体を伸ばして、タバコをくゆらせながら車窓を見入る。
今回訪問する東北銘醸は、山形県酒田市にある。山形県というと東北新幹線〜山形新幹線というルートを思い浮かべるが、日本海沿いの庄内平野、酒田・鶴岡の両都市へは、新潟回りの方が若干ではあるが速い。途中から、右手には刈り取られた後の荒涼とした田圃が広がり、左手には日本海が見えてくる。ようやく車窓を楽しめるようになってきたのだが、残念なことに冬の日没は早い。羽越国境の村上を過ぎる頃には、はるか海上に粟島の灯台の灯が浮かび上がってきたのがせめてものなぐさめであった。

酒田の町と「初孫」
前置きはこれくらいにして、今回訪問した東北銘醸と酒田市について簡単に説明しておこう。酒田市は、松尾芭蕉の「五月雨を集めて早し最上川」の句で有名な日本三大急流最上川の河口に広がる町だ。
中世以来、水運を中心に日本海沿岸の要衝で、江戸時代に北前航路が開設されたこともあり、東北の堺とも目される商都となった。幕藩体制下では、隣り町の鶴岡に譜代の酒井家が城を構えて庄内藩となり外様大名ににらみを利かせた。酒田には代官所がおかれ、町を代々支配したのが本間家という庄屋である。戦前までは、その子孫が日本一の大地主としても有名であった。このように商人・町人中心の町であったことが、後の「初孫」の飛躍にはポイントとなっていたようだ。
東北銘醸の創業者、佐藤久吉は、酒田で回船問屋を営んでいたが、明治26年(1893)に酒造業を始める。ちなみにこの年は、酒田で有名な観光スポットである※山居倉庫ができた年でもある。推測ではあるが、日清戦争の前年であるこの頃は、日本中が先進国への道を大きく歩み始め、商業の盛んな港町では起業や投資が盛んに行われ始めた時期だったのではなかろうか。
創業当初の酒銘は「金久」であった。自分の屋号である「金谷」に自分の名前である「久」を組み合わせたものだ。その後昭和初期になって、後継者となる長男が生まれたことを機に、多くの人に愛される酒にしたいと銘柄を「初孫」として、現在に至っている。
※山居倉庫:酒田米穀取引所が、米の倉庫として建造。湿気を防止するために二重構造にするなど建物の随所に大切な米を守るための工夫が見られる。現在も現役として利用されている。

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