時代や文化とリンクしたお酒に関する旬の情報サイト
酒文化研究所ホームページ
会社概要酒文化の会メールマガジンContact UsTOP
イベント情報酒と文化コラム酒文研おすすめのお店酒文化論稿集酒飲みのミカタ特ダネ
海外の酒めぐり日本各地の酒文化見学できる工場・ミュージアム酒のデータボックスアジア酒街道を行くリンク集

<<酒めぐりTOPへ

過去記事一覧

焼酎を訪ねて
  九州山間地を行く


居酒屋にススメ

粕取焼酎を現代に生かす

北海道の大地で育った酒

美ら島酒紀行 メーカー編

美ら島酒紀行 飲食店編

観光資源としての
  酒文化 下


観光資源としての
  酒文化 上


南国土佐に「酒の国あり」

大信州(長野)
  「長野の酒」からはずれを
  なくす


初孫(山形)
  機械と手作りを
  融合させた新工場


阿蘇の名水生まれの酒

若鶴(富山)
  濃醇な無濾過生原酒で
  おいしさを追求


奥越前(福井)
  名水と酒米の里の酒


自分のワインを造りたい
  −各地で生まれる
  ドメーヌ型ワイナリー


美の川(新潟)
  新潟酒の個性派


山田錦のテロワール1

山田錦のテロワール2

機山ワイン(山梨)
  風土を生かした
  ワイン造りへの挑戦
日本と海外の酒めぐり
美の川 新潟
酒所越後での顧客満足を追求した挑戦
新潟の酒といえば、「淡麗辛口」というのが一般的だが、美の川酒造株式会社は旨みやコクを追求してきた珍しい蔵だ。今回は、雄町の契約栽培や、山の伏流水を使った酒づくりなど、ユニークな挑戦を続ける同社の歴史と現在を紹介する。

写真  例の「米百俵」ですっかり有名になった長岡だが、それ以前の一般的なイメージは、雪に埋もれる豪雪の街といったところだろう。その長岡に、今年は雪がない。2月だというのに、街は雨に濡れているのだから拍子抜けだ。温暖化のせいか年々雪は減っているが、それでもここまで少ないのは珍しいという。
美の川酒造株式会社は、「米百俵」の産みの親、河合継之助が命がけで守ろうとした長岡城から南へ下った、三国街道沿いにある。
街並みに旧街道筋の面影はないが、通りから少し下がったところにある大正時代の土蔵を生かした「美の川酒蔵館」の瀟洒なたたずまいは、かつて「殿様酒屋」と称されたという往時をかすかに偲ばせてくれる。
「当社の酒は、祖父の代まで甘口でしたし、現在でも無理に軽く、華やかにとはしないようにしています。新潟の酒といえば『淡麗辛口』というイメージが強いので、よく『これは新潟の酒じゃないな』と言われますね」(美の川酒造株式会社代表取締役社長 松本英資氏)
同社のかつての屋号は「美濃屋」。ここからもわかるように、先祖は美濃、つまり現在の岐阜県の出身らしい。「美の川」ももともとは「美濃川」だった。
だからというわけではないが、同社の酒は、さすがにかつてのように甘口ではないものの、辛口でもしっかりしたコクと旨みのあるものが多い。
新潟の蔵のなかでは、淡麗辛口という流れに抗して独自路線を行く数少ない蔵の一つだ。

庄屋を兼ねた「殿様酒屋」
写真松本家の先祖が、なぜわざわざ、美濃から豪雪の長岡までやってきたのかを説明するには、やはり長岡藩の歴史を少しひもといてみなければならない。
現在の長岡の街づくりをはじめたのは、同じ越後の国、六日町を本国とする坂戸城主、堀直寄であるという。元和4年(1618)、直寄が村上に移封され、譜代大名牧野忠成が長岡藩を創始して町づくりを引き継いだ。
牧野家はもともと東三河、現在の愛知県の出で、上野国勢多郡大胡、越後頸城郡長嶺城主を経て、五代忠成の時に長岡に入った。美濃屋がいつから牧野家に付き従っていたかは定かではないが、三河の隣国美濃の出身であるらしいこと、代々牧野家に重用されていたらしいことを考えれば、かなり古くからつながりがあったのかもしれない。
その美濃屋が酒造業を始めたのは、河合継之助が生まれた年、つまり文政10年(1827)のこと。当時は近隣町村の徴税を預かる庄屋を兼ねており、「殿様酒屋」と称されていたという。事実、同社の美の川酒蔵館に納められている書画やひな人形などからは、藩主の信頼厚い御用商人の暮らしを垣間見ることができる。
だが明治元年(1868)、中立を保とうとした河合継之助の努力もむなしく、長岡藩は官軍の猛攻を受け、城下の80%を焼失する。
ただ美濃屋自体は、蔵の一部が焼け残ったものか、あるいはそれまでに蓄えた財力によるものかは定かでないが、すぐに酒づくりを復活させたようだ。
長岡郷土資料館に残る明治22年(1889)の宣伝ちらしらしきものからは、間口の広い広壮な店構えに雁木を突き出し、その下にこも被りを並べたようすが描かれており、当時の美濃屋の隆盛ぶりが見てとれる。このちらしは、電話局の宣伝のために作られたともいわれ、美濃屋の電話番号は「99番」。この番号から、市内でも早くから電話を入れたことがわかり、これも隆盛の証となろう。
欄外には「清酒 美濃川」とあるのに、絵のなかの樽には「美の川」と書かれているところをみると、ちょうどこの頃表記を変えたのかもしれない。

<<前頁へ      次頁へ>>