もうひとつのジュネヴァ産地ベルギー|詳細ページ

もうひとつのジュネヴァ産地ベルギー

2026/04/24(金)
オランダ産のイメージが強いジンのルーツ「ジュネヴァ」ですが、同じネーデルラントのベルギーでも盛んにつくられ、第2の都市ハッセルトにはジュネヴァ博物館があります。今回はこの博物館のレポートです。
ベルギーのジュネヴァ主産地ハッセルト
ジュネヴァ国立博物館

 オランダと並ぶジェネヴァの産地ベルギーで、スキーダムのように蒸留所が集中したのは、ブリュッセルから東に約80㎞離れたハッセルトでした。オランダとの国境に近いこの町は大阪の伊丹市と姉妹都市であり、ベルギーではファッションの町として知られています。
旧市街地にある国立ジュネヴァ博物館を訪ねました。古いレンガ造りの蒸留所をハッセルト市が買い取り、改修工事を経て1987年に開館したものです。建物は元々修道院農場で、一階のチケット販売所は牛舎だったそう。その奥では昔ながらの製法で、現在もジュネヴァを製造しています。この博物館の展示から、ベルギー及びオランダ南部でのジュネヴァの歴史について紹介しましょう。
<上段左>博物館の建屋は農家が蒸留所を併設したスタイルでベルギーでは一般的だった
<上段右>左奥の細長い蒸留器でジュニパーベリー・スピリッツを蒸留し、右端の胴の太い蒸留器でモルトワイン(穀物原料のスピリッツ)を得る
<下段>原料の穀物を準備する博物館の職員

ベルギーでの酒造禁止で仏・英・米へ

 オランダ独立戦争の際、1681年に北部が独立を宣言しますが、南部とまだオランダから独立していないベルギーは分離される形になりました。1601年にアルブレヒト大公は南部での蒸留酒づくりを禁じたため、北部のジュネヴァは急成長、一方、南部からは多くの蒸留家がフランスやイギリス、アメリカなどに移住し、コニャックやラムの製造に関わりました。また、密造が横行し安易な製造でジュネヴァの品質は低下します。
<上段左>有名なペストマスク。ジュニパーベリーは伝染病に効くとされ広まったと説明
<上段右>さまざまな薬効が謳われたジュニパーベリー。ポスターには「ドクター・ジュネヴァ」とある
<下段>ジュニパーベリーそのものを展示。松のように刺々した葉がたくさん

農業とジュネヴァ製造のパッケージモデルを推進

 18世紀に禁止令が解かれると、今度は農業の近代化のためにジュネヴァの蒸留を兼業する農家経営が奨励され、この博物館のような農家が蒸溜所を併設するスタイルが広がります。また、ジェネヴァの蒸留と併せて、運送業、運搬容器の製造や鍛冶屋、銅細工など周辺の産業の発展を見ました。徐々に蒸留所の産業化が進み、ジュネヴァの製法は北部でおこなわれていた三回蒸留を採用するようになり品質が向上します。
<左>農産物を加工しジュネヴァを造り、残滓は飼料となって循環する
<右>農業の近代化のために蒸留所を併設するよう勧めるポスター

19世紀の禁酒ムーブメント

 ジュネヴァが潤沢に供給されるようになると、19世紀半ばに1人当たり6?だった消費量は同世紀末には16?に増え、過剰な飲酒が社会問題化します。反アルコール運動が広がり1887年には公共の場での酩酊が禁じられ、1919年にはベルギー法務大臣エミール・ヴァンデルベルデ氏が公共の場での蒸留酒の飲酒を禁止、酒税を四倍に引き上げ、一度に購入できる量を2?に制限することを法制化、1984年まで続きました。
 こうした歴史からでしょうか、ハッセルトのジュネヴァ博物館の展示では、アルコール問題や適正飲酒の啓蒙に多くのスペースが割かれていました。
<左>19世紀に禁酒思想が勢いを増し、蒸留酒は厳しき制限されるようになる。ジュネヴァには受難の時代
<右>酩酊して家庭が崩壊するさまを描いた絵画