はじめにどぶろくがあった その1
2026/04/23(木)
【どぶろくの手記】

稲作が普及している東アジアにはたくさんの米の醸造酒があります。多くは濁った素朴な酒で、日本の清酒のように高度な醸造技術でつくられる澄んだ酒は特異な存在です。かつて日本でも素朴な濁酒、どぶろくが広く飲まれていましたが、1899年に自家醸造が禁じられ、公式には飲めない時期が長く続きました。ただ、この20年間にどぶろく特区制度が普及したり、その他の醸造酒製造免許でどぶろくを造るクラフトサケ醸造所で各地に誕生し、少しずつ身近になってきました。
本稿は、自分で酒を造る自由を考えるために、全国から募った「どぶろくの手記」をご紹介するものです。これは弊社が発行していた酒のフリーマガジン『さけ通信』(2007~2016年:約5万部発行)の紙面で募集(2013年6月~12月)したもので、17人の方にご寄稿いただくことができました。そのなかから事実が明確に記されている9篇をご紹介します。
かつて身近に自家醸造があった
まず、かつてのどぶろく体験をお書きいただいた手記を見てみましょう。4篇とも昭和20年~30年代の記録です。投稿者は皆さん60歳以上の方々です。
●どぶろくが薬代
実家は秋田県由利本荘で薬屋をやっておりました。昭和30~33年頃と記憶していますが、薬代の替わりにどぶろくを持ってくる人がいて、どぶろくが手に入ると昼でも隣のおじさんを呼び、囲炉裏にお線香を数本立て、どぶろくの匂いを消して飲んでいるのを見ましたし、飲ませてもらった記憶があります。そのお陰で今は「飲んべえ」の烙印を押される程飲んでいます。
埼玉県さいたま市 OKさん(男性)65歳
●どぶろく名人だった祖母
終戦直後の何もない時代、磐梯山麓の小さな村では、人の集まるところに必ずどぶろくの匂いが漂っていた。私の祖母は明治16年、会津生まれ。手先が器用で、縫い物、機織り、料理、養蚕など多趣味、なかでもどぶろくづくりが得意で村人の評判は良かった。家の奥の押入れには、いつも、布団に包まれた大きな甕が置かれ、ブツブツと、かすかな音を立てて、麹の仄かなよい匂いがしていたのを覚えている。祖母は、時々、布団をはがし、中身の発酵具合を確かめながら「ウンウン」と、満足げな表情を見せていたものだ。
私の末弟は7歳くらいだったろうか。どぶろくを甘酒と勘違いしぐいぐい飲んだらしく、外出から戻った母が真っ赤な顔の弟を見て驚き、町医者に診てもらい、大笑いしたこともあった。
連絡手段も無いその頃、人伝いに西方の集落でどぶろくの一斉摘発がおこなわれたという情報が流れて、私の磐梯村にも入った。知らせを聞いた祖母は落ち着いて、押し入れに隠していた甕を取り出し、まだ消え残る軒下に積もった雪の中に甕を埋め、しらばっくれていた。時にはどぶろくを裏の小川にどぼどぼと捨て、川の水が白く濁って流れたこともあった。取締りの目をくぐり抜け、人々は工夫を重ね、人と人の絆を結ぶ「白い液体」を作り続けてきたのである。
福島県郡山市 SYさん(女性)78歳
●手づくりのリンゴの酒で我慢
自家醸造で思い出しました。50年前、酒が高くて買えなかったころ、酒好きの父はミルク缶のふたに五寸釘で穴を開け、あさひリンゴをすりおろして搾り、瓶に入れ酒をつくって飲んでいました。あのころにくらべ、好きなお酒を飲める時代になったことを幸せに思います。
福島県福島市 TKさん(女性)61歳
●野菜に化けたどぶろく
あの戦争・敗戦。私は、貧しい家庭で育ち小学校四年から新聞配達をやりだしました。学校から帰るとクズ鉄・銅・鉛・真鍮・割れたガラス等を拾って売っていました。住んでいたボロ長屋の近くに、これらを買ってくれる所がありました。
阪急京都線は西院駅のちょっと手前からトンネルになっていました。その地下への出入口あたりで、盛んにどぶろくが醸造され、貯蔵されていました。当時も自家醸造は禁止されていましたから、発見されないように醸造と保管場所に神経を使っていたのです。
その日は遠く桂川・桂離宮近辺まで出掛けたために、夜遅く、《クズ鉄買処》に到着しました。主を呼び出している時、近くの豚舎から、豚が激しくわめく声が聞こえてきました。傾きかけた細い丸太の電柱にポツリと裸電球。男が、空の一升瓶2本と、漏斗とひしゃく、濾す器を入れた錆びたバケツを持って、豚小屋に近付いていきました。豚小屋に敷かれたムシロを払いのけ、その下に重ねられた布を、ゴミを落とさないように丁寧にめくっていきました。
やがて白い液体が満ち溢れているのが見えてきました。男は、その白い液体を柄杓で表面を払い、そっと掬いとりました。そして、空の一升瓶に漏斗を差し込み、濾す器を載せて注ぎだしました。周囲に甘くて、酸っぱい臭いが広がりました。
そのどぶろくは野菜の納品に化けて、西院駅界隈の《ホルモン屋》《立ち飲み処》《屋台》に忍びの術で配達されていきました。
京都府京都市 ORさん(男性)78歳

<左>全国各地に誕生したどぶろく特区。多くは飲食施設を併設し郷土料理とともにどぶろくを提供している。
<右>どぶろく特区の生産農家は小規模で、仕込みは寸胴鍋で行いところが多い
次の二篇はどぶろくを体験し、いま、ご自身でもどぶろくづくりを楽しんでいるという方からのもの。SFさんは昭和60年前後のどぶろく体験を、一方、SNさんは昭和30年代の祖父母の思い出をお寄せくださいました。お二人とも自家醸造の解禁を強く望んでいらっしゃいます。
●山形ならではのどぶろくと鴨鍋
中学生の頃、父の転勤で山形県南部に住んでいました。級友には農家が多く、また父兄の仲が良く、親同士で酒席を頻繁におこなっていました。親友の父親は米作農家で、秋口になると仲間の親たちを集め、自家製のどぶろくと鴨鍋の酒宴を開きました。鴨は田植え前に田んぼで戯れていたものです。子鴨を投網で捕獲し、鳥小屋で米ぬかや屑野菜をたっぷり与えて肥えさせ、秋口に食べごろになったところで鍋にしたのでした。
密造酒に密猟と違法満載の宴会でしたが、毎年、母はこのお誘いがかかるのを心待ちにしていました。僕もお裾分けで食べましたが、脂が乗り切りコクがある鴨肉は噛めば噛むほど味が出て、今でも鮮烈に思い出します。どぶろくは麹から自家製米で作り井戸水で仕込んでいました。マッコリによく似たもので、甘みと何とも言えない芳香があり、微炭酸で飲みやすくて、コップ半分ほどでグデングデンになる代物でした。
故郷の北海道に戻ってからも秋になると思い出し、いつしか自家醸造の本を読み漁るようになりました。行き着いたのは米3合を2合分の水で炊飯器で炊き、北海道滝川市の江部乙で細々と営む商店特製の米麹を使い、ワイン用イーストを混ぜ、水は羊蹄山の噴出した水で4リットルの気密弁付き瓶で仕込む方法でした。やはり出来上がるものは微炭酸でマッコリそ作りな物です。
4日程で炭酸用のペットボトルに入れ替え冷蔵庫で保管します。粕が沈むので上澄みを飲みます。残った粕は砂糖や水あめや生姜で味を調えて甘酒にします。アルコールは6度からせいぜい8度ですが、活きた酵母と炭酸のせいか酔いが回るのがすこぶる早く杯が重くなります。母に滝川特産の合鴨でつくった鍋と一緒に振舞いましたが、山形で食べた鴨
とどぶろくには遠く及びませんでした。最初からわかっていたことですけれど……。
そのどぶろくを友人の女の子にも振舞ったら、お通じが良くなったと大喜びでした。北海道名物ジンギスカンやザンギ(鶏のから揚げ)など脂っこい肴に微炭酸はよく合いますし、何よりも安上がりなのは魅力です。山形での体験がこんな形で活きるとは、おもしろい縁が続く人生だなと失笑してしまいます。
北海道石狩市 SFさん(男性)43歳
●酒造のプロの無見識
暮らしに一段落ついた戦後間もない頃から昭和30年代半ばまで、祖父母は京都市の山科の自宅でヤミのどぶろく屋を営んでいました。ひょっとしたら、朝鮮半島出身の同胞向けだったのかもしれません。
私が生まれる前に祖父母は亡くなっていたので聞き伝えになりますが、1回の仕込みは米2升~3升。蒸し米は少し餅米を混ぜて、麹は味噌屋か漬物屋から、酵母はパン屋から生イーストを分けてもらっていたそうです。発酵日数は3日~1週間(暑いと早く、寒いと遅い)。醪を漉す際、甕の上に目の細かいザルを敷き、加水しながら手で漉していたと言います。税務署に踏み込まれ、甕ごと割られたこともあったようです。
当時、1杯いくらで売っていたのかは不明ですが、お客と思しき人が、白い液体が入ったコップを手に談笑している古い写真が残っています。
私も酒を飲むようになり、時々、瓶内発酵させ炭酸ガスを閉じ込めたスパークリングどぶろくをつくって楽しんでいますが、最近はどぶろくづくりをブログで公開している方もおられ、個人が楽しむ分には税務署も見て見ぬふりをしているのでは? と思われます。
ただ、自家醸造解禁への意識改革はプロ側に必要なのではないか? と思っています。と言うのも、酒蔵見学をする度に酒造会社の担当者に「自家醸造解禁についてどう思うか」と質問するのですが、返ってくるのはこんな答えです。
「えっ? どぶろくって、もう解禁されているんじゃないですか?」
「酒米と食米は違うので、一般家庭で酒づくりは不可能です」
「難しい問題ですね……」(と明言を避ける)
自家醸造を解禁して万一税収が減ったら、それはむしろうまい酒をつくっていないプロが悪いのではないでしょうか。「自家醸造、大いに賛成。草野球人口が増えてこそプロ野球が発展するように、酒の裾野が広がることは業界的にも文化的にもプラスです。趣味の範囲の酒づくりは、即解禁してもらいたい」と明言する蔵元が現れることを願ってやみません。
大阪府茨木市 SNさん(男性)49歳

「どぶろく研究大会」はどぶろく特区のどぶろく品評会。出品されたどぶろくを見ると東北や新潟の山間地の生産者が目立つ
作って 飲んで 楽しんで
最後にご紹介するのは、今現在、趣味としての酒作りを満喫している3人からのお便りです。
●毎年違う 作り手で違う味わい
新潟県東蒲原郡の山間地に住んでいます。我が家の義母、義父の妹、義父の従兄のお嫁さん等いろいろな方が、毎年、冬の寒い時期にどぶろくを仕込んでいます。「どぶろくできたよ!」と言ってもらって飲んでいます。
その年の温度やその人の作り方によって香り・甘み・酸味・発酵具合が違います。つくる人の性格によってその味も違うのがわかります。大雑把な人・きちんとした性格の人・甘いのが好きな人等、少しずつ違っています。麹を入れる量・イースト菌の量・お米の量等で本当に味が違います。どぶろくの上澄みだけをぜいたくに飲んだり、濁りにしてまって飲んだり、いろいろ楽しめます。あの人が一生懸命仕込んだんだなぁと思い浮かべながら大事にいただいております。
昨年は勤務先で私が味噌づくりを担当することになり麹から作りました。この冬はその麹で仕込んだどぶろくをいただくことができました。昨夏はそれで「あまかい(甘酒)」を作り、毎日少しずつ飲んでいました。冷やした「あまかい」はやさしい甘さです。そのおかげで夏バテ知らずに今年も過ごしました。
どうぞ、どぶろくを飲みにいらしてください。田舎で地元の料理と飲むどぶろくは最高
です。
新潟県東蒲原郡 SKさん(女性)47歳
●三度目のワインづくり
作りましたワイン。ぶどうはマスカットベーリーAです! 梅酒のびんの中で、すくすくとワインになりました。色はチョットくすんだ赤。うまい! 私って天才?と思った一年目。二年目は糖分が多すぎて甘~いワインに。失敗だったと思ったのですが、お年寄りには大人気で、また作ってと言われました。今年は三回目、がんばって大人の、アルコール度数が高めのワインを作ろうと思っています。
そういえばどぶろくは、祖母が甕で押し入れでつくっていました。母と叔父はできあがる前にちょくちょく味見をして、最後にバレないように水を入れていました。祖母が「何だか今回は水っぽいネー」と独り言を言っていました。
栃木県足利市 YK子さん(女性)66歳

<左>特区のどぶろくとは異なる動きはクラフトサケ。「その他の醸造酒」の製造免許(清酒・ワイン・ビールは製造できない)で、どぶろくやフルーツやハーブも使った新しい酒を作り注目されている。写真はLAGOON BREWERY(新潟)を創業した田中さん
<右>どぶろく特区のなかにはビン詰め商品を主力に広く販売する生産者もいる。『どぶろく卓』(新潟)はコンテストで上位入賞の常連で各地に顧客を持つ
●趣味が高じて酵母を培養
はじめまして。ルイといいます。今23歳の男性、フリーターです。どぶろくの手記ということで、僕の体験とかもみんなでシェアできたらいいなと思い、寄稿しました。
僕はビールを作ります。昨年の冬、暇つぶしに「ビールづくり」をネットで検索してみました。意外にも簡単につくれることを知り、その日の内に材料を購入しました。大好きなビールが自分でつくれるということでワクワク、実家にあった水用の20リットルのタンクで仕込みました。一次発酵が1週間と説明書に書かれていたのに3日くらいで終わってしまって失敗か!と焦ったり、発酵液をもう一度温めてみたりといろいろと心配だらけで、やたら消毒しまくりましたが、なんとか瓶に詰め、ビールの形にはなりました。そして二週間熟成させてドキドキの初自家製ビールの試飲、今でもすごく覚えています。まずかったらどうしよう、20リットルもあるし……。最初だし練習だからどんな味でもとりあえずいいじゃないかという思いで飲んでみました。ところが思いがけず、「うまい……、うまいじゃん!おいしいじゃん!ちょっと薄め?泡も控えめ? だけどビールの味がするし、というか、ビールだ!やった~!」でした。
それからBLACK ROCK 社のモルト缶を原料に、Bock、IPA、Lager と立て続けに作りました。ちょっとすっぱいのもあったけれどおいしく飲んでいます。自分で作るビールのいいところは自分好みにできるというか、いろいろやってみることができるというところです。濃さとかも調節できるし、瓶詰めの時に飴とか花とか入れるとそのフレーバーがついたビールになります。まずくて飲めなかったもののもありましたが……。
自分でお酒をつくるとお酒がかわいいです。感謝の気持ちで飲めます。アルコール中毒の人に自家醸造をやらせると治癒する、といったことも納得できます。さまざまなアルコール問題は、自家醸造を禁止したことによって出てきた部分も多いのではないかと思います。今は「黙認」って感じですけど、早く公に認められるといいですね。
ビールを作るまで、僕は酵母がアルコール発酵をして酒ができるということを知りませんでした。友達に話しても「そうなの?」みたいな感じです。発酵の仕組みを知って、ビール以外もいろいろやってみたくなりました。甘い汁に酵母くんを入れて発酵してもらえばお酒にしてくれるんだよね? を試してみたのです。桃ジュース、カルピス、おばあちゃん家のいちご等です。あとヨーグルトと牛乳と砂糖で乳酸菌のお酒もやってみました。おいしいかどうかは別にして、楽しい!
酵母がぷくぷくと泡を出してせっせとお酒をつくっている姿は、見ていてとても楽しいです。そして予想をしていた味と全然違うものになるからおもしろいです。
少し前にはついに蒸留にチャレンジしました。ネットで調べるとけっこう装置が大がかりで諦めかけたのですが、圧力鍋を使うやり方があることを知り、試してみました。最初は鍋の臭いがすごくて飲めない!って感じのができました(直前に母が豆を煮たそうです)。それでも何度かやっているうちに嫌な臭いも消えて、いい感じに蒸留ができました。そうしてできたのが黒糖からつくったアルコール分70度くらいのスーパーラムと、いちごワインを搾った滓でつくった滓取りブランデーです。どちらも度数が高くてそのままはキツイですが、香りはいい感じです。次は自家製ラムで梅酒を漬けようと計画中です。
さらに酵母の培養に取り組んでいます。酵母はいろいろな所に住んでいて、培養すれば自分オリジナルの酵母が手に入る!と書いてあったので、桜の花を一つ頂戴して砂糖水にレモン汁+アルコール(ジンを使いました)という培養液に入れてみました。しばらく何の変化も見られなかったので諦めて放っておいたのですが、もうしばらく経ってから見ると泡が出ていて、香りもとても良くて、いつの間にか培養に成功していたようです。
その酵母で先日初めてどぶろくを仕込んでみました。結果は上々、おいしくできました。これが日本伝統の酒かと感心しました。実は日本酒が苦手で敬遠していたのですが、どぶろくは本当においしいです。これこそ日本の酒、誇るべき伝統文化、どぶろくをみんなの元に戻したい、そう思いました。
東京都府中市 ルイさん(男性)23歳

(2枚にキャプ共通)
自家醸造を認めている国は多い。1990年ごろに拡大したアメリカのクラフトビールは自家醸造ビールの愛好家が始めた。ビール醸造キットの専門店があり酵母やホップ、麦芽などの原料や煮沸釜や発酵槽も容易に手に入る(バラスト・ポイント自家醸造ビールショップ/アメリカ・サンディエゴ)
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酒が不足していたり経済的に酒の入手が難しかったりした時代では、必要に迫られての自家醸造という側面が注目されがちです。けれども郡山市のSYさんの手記にあるように、そうした時代でもどぶろくづくりを楽しんでいた様子がうかがわれるものもあります。また、さいたま市のOKさんの手記からは、町場ではあまりつくっていなかったことがわかります。一方で現在、自家醸造をしている方の手記は、楽しさと作る喜びが前面に出ています。もし、自家醸造が禁じられていなければ、厳しい時代の自家醸造もずっと明るく楽しく語られたのかもしれません。